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今年は歌舞伎発祥400年ということで歌舞伎関係では多くの催しものが続いています。日本舞踊もこの歌舞伎踊りがそのもととなっているのです。
今から400年前に出雲の阿国が京都で当時のはやり歌に合わせて踊った小歌踊りはさまさまな踊りの曲を生み、「念仏踊」(死者の霊をなぐさめる)「ややこ踊」(子供をあやす振りが中心としている)などが出来、その集大成が「風流踊」(ふりゅう)という派手な風俗の踊りとなり、異装の「かぶき者」のファッションを生みそれが現代の歌舞伎へとつながります。
この歌舞伎踊りが三味線という楽器によって音楽も華やかになり「遊女歌舞伎」「若衆歌舞伎」「野郎歌舞伎」など変化を重ねます。
その歌舞伎の中から女形による踊りが確立し「所作事」といって当時の人々の生活に根ざした題材の舞踊が生まれました。今もよく踊られる「娘道成寺」(1753年)はその代表的なものです。
この頃の踊りは女形だけのものでしたが1770年頃から長唄だけの伴奏音楽に浄瑠璃系の音楽が加わり、男の役者(立役)も所作事を演じるようになります。
さらに時代が進んで文化文政(1804年〜1830年)の頃になると一人の役者が何役も踊る「変化舞踊」(へんげ舞踊)が登場し、役者に振りをつけて教える「振付師」が生まれます。
その振付師やその弟子たちが芝居以外に町に稽古場をもち素人にも教えるようになり名取りが続々と出て今日の隆盛の基礎となりました。
従って昔の舞踊は歌舞伎から直接に伝わり、曲にしても歌舞伎の作品以外に無かったのですが、やがて時代と共に舞踊家達の自身の作品を作るようになり多くの流派が出来るようになりました。
岩井流はその歴史も古く、江戸時代の踊りの師匠の番付に登場しています。
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